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2016/08/07(日) 08:00 | ふたこわたるより【子宮の中でのトラウマのワーク その2】 |
○○さん、こんにちは。
ふたこです。
【子宮の中でのトラウマのワーク その2】
その1からのつづきです。
・仲よかった友人との間にやむなく一線を引いたときに、とても感情が残る
についてのワーク。
そういうときは関係を絶った後でも
とっても感情が残るんですよね、という話を前回までにしました。
***
これって、まあ自然な気持ちといえば自然なんだろうけれど、
ただちょっと自分でもヘンだなと思う部分があります。
それは、このパターンになった時に
「ああ、この人を救えなかった」みたいに感じるのです。
これまでこのパターンだと統計的に100%相手は生きるの辛そうだし。
頭ではもちろん、僕が救う話じゃないってよく知ってるわけ。
そんなのは本来大きなお世話ですよ、はい。
でも感情レベルの話として、観察するとそうなってる。
(あ、もちろん「んだよ、このやろー」とかも思うんだけどね)。
まあとにかく、そんな感情がある。
***
ワークが進んでいく中で、僕が別の人を選んで
話を聞いてもらう場面があって、
そこで選んだ人は寝っ転がってリラックスしまくってたのです。
で、僕はちょっと緊張気味に話をしてる。
この場面で先生の指摘があって、
周りの大人たちと、こどものあなたの関係は、
こんな感じだったのでは?というのね。
つまり、親やおとながリラックスしちゃっていて、
自分のことも子供のことも責任を持っていなくて、
あなたがしっかりしていなくてはいけなかったのではないかと。
***
先生が指摘するところによると、
そういう親のあり方というのは、
子宮にいる時から胎児が感じ取ることができる。
そして胎児は自分のサバイバル戦略として
自分が責任を果たそうとしてしまう、とのこと。
母親の感情の揺れを感知して、
そのエネルギーを引き受けてなだめようとしたりとか。
そしてそれは出生後も続く。親に変化がなかったら。
本来は親が子供に対して責任を持つ話だけれど、
そうなっていないという親子関係はちょくちょくあって、
そうすると子供が親の人生の責任を持とうとしてしまうらしい。
そして親だけじゃなくて、他人の人生に対して
責任を感じてしまうパターンが出来上がる。
人が不幸になったら、感情を害したら、それは自分が足りなかったからだ。
ほええ。
こういうのかなり手放してきたつもりなんだけれどな。
***
僕は物心ついた頃から、僕が賢くなくては、
僕が力を持っていなくては、僕が責任持たなくては、
と固く決心していた節があるんだよね。
そうじゃなきゃ、みんなダメ(不幸)になってしまう、みたいな。
ほんとうに一人きりの時にしかリラックスできなくて、
誰かがいたら絶対にどこかで緊張してる。
その人に起こることに、身体レベルでなんらか責任を果たそうとしてる。
眠っている時でさえそういうところがある。
昔パートナーと一緒に住んでいて二人で隣で寝てるとするでしょ、
そういうときにも、彼女にぶつかって起こしたりしないように、と
かなり身を縮めて寝ていたりした。
眠っている間にですよ。身体レベル。
かくも深く気を遣って生きている子供だった。
大人になってもだけど。
そして気を遣っている内容は、常に的を射てるわけでもない。(^^;
***
それで改めて、こどもの自分として
大人たちに囲まれケアされながらリラックスする、
という体験をしてみないか、といわれました。
それがね、意外な形で感動だった。
ああ、これでもう安心して死ねる、みたいな気持ちになったのでした。
(つづく 多分あと1回)
****
今後の予定
8/24 『足りないワールド』脱出セミナー
〜地球に幸せを広めるビジネスの基礎
午後の部、夜の部あり
http://www.kokuchpro.com/event/futako201608/67272/
8/16, 23, 9/6, 13 東京 夜 連続4回
アナスタシア読書会
料金は、4回通しで10000円。
席に空きがあれば単発参加3000円(キッシュ代別)、適宜募集。
定員8人
お申し込み
http://www.formzu.net/fgen.ex?ID=P31631504
********************
ふたこわたる公式メールマガジン
kazetsukai@japan-ex.jp
配信停止はこちらから
(解除URL)
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ふたこです。
【子宮の中でのトラウマのワーク その2】
その1からのつづきです。
・仲よかった友人との間にやむなく一線を引いたときに、とても感情が残る
についてのワーク。
そういうときは関係を絶った後でも
とっても感情が残るんですよね、という話を前回までにしました。
***
これって、まあ自然な気持ちといえば自然なんだろうけれど、
ただちょっと自分でもヘンだなと思う部分があります。
それは、このパターンになった時に
「ああ、この人を救えなかった」みたいに感じるのです。
これまでこのパターンだと統計的に100%相手は生きるの辛そうだし。
頭ではもちろん、僕が救う話じゃないってよく知ってるわけ。
そんなのは本来大きなお世話ですよ、はい。
でも感情レベルの話として、観察するとそうなってる。
(あ、もちろん「んだよ、このやろー」とかも思うんだけどね)。
まあとにかく、そんな感情がある。
***
ワークが進んでいく中で、僕が別の人を選んで
話を聞いてもらう場面があって、
そこで選んだ人は寝っ転がってリラックスしまくってたのです。
で、僕はちょっと緊張気味に話をしてる。
この場面で先生の指摘があって、
周りの大人たちと、こどものあなたの関係は、
こんな感じだったのでは?というのね。
つまり、親やおとながリラックスしちゃっていて、
自分のことも子供のことも責任を持っていなくて、
あなたがしっかりしていなくてはいけなかったのではないかと。
***
先生が指摘するところによると、
そういう親のあり方というのは、
子宮にいる時から胎児が感じ取ることができる。
そして胎児は自分のサバイバル戦略として
自分が責任を果たそうとしてしまう、とのこと。
母親の感情の揺れを感知して、
そのエネルギーを引き受けてなだめようとしたりとか。
そしてそれは出生後も続く。親に変化がなかったら。
本来は親が子供に対して責任を持つ話だけれど、
そうなっていないという親子関係はちょくちょくあって、
そうすると子供が親の人生の責任を持とうとしてしまうらしい。
そして親だけじゃなくて、他人の人生に対して
責任を感じてしまうパターンが出来上がる。
人が不幸になったら、感情を害したら、それは自分が足りなかったからだ。
ほええ。
こういうのかなり手放してきたつもりなんだけれどな。
***
僕は物心ついた頃から、僕が賢くなくては、
僕が力を持っていなくては、僕が責任持たなくては、
と固く決心していた節があるんだよね。
そうじゃなきゃ、みんなダメ(不幸)になってしまう、みたいな。
ほんとうに一人きりの時にしかリラックスできなくて、
誰かがいたら絶対にどこかで緊張してる。
その人に起こることに、身体レベルでなんらか責任を果たそうとしてる。
眠っている時でさえそういうところがある。
昔パートナーと一緒に住んでいて二人で隣で寝てるとするでしょ、
そういうときにも、彼女にぶつかって起こしたりしないように、と
かなり身を縮めて寝ていたりした。
眠っている間にですよ。身体レベル。
かくも深く気を遣って生きている子供だった。
大人になってもだけど。
そして気を遣っている内容は、常に的を射てるわけでもない。(^^;
***
それで改めて、こどもの自分として
大人たちに囲まれケアされながらリラックスする、
という体験をしてみないか、といわれました。
それがね、意外な形で感動だった。
ああ、これでもう安心して死ねる、みたいな気持ちになったのでした。
(つづく 多分あと1回)
****
今後の予定
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〜地球に幸せを広めるビジネスの基礎
午後の部、夜の部あり
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8/16, 23, 9/6, 13 東京 夜 連続4回
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料金は、4回通しで10000円。
席に空きがあれば単発参加3000円(キッシュ代別)、適宜募集。
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