ふたこわたるより バックナンバー
日時 | タイトル |
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2016/11/02(水) 08:00 | ふたこわたるより【グアヤサミンの美術館で感じたこと、 痛みと祈りの共同体】 |
○○さん、こんにちは。
ふたこです。
エクアドル最終日は、
首都のキトに移動して観光でもしましょう、
ということになりました。
ガイドさんがオススメの場所として
連れて行ってくれたのが
オスワルド・グアヤサミン
(スペイン語発音だと
フアヤサミンのほうが近いかな
Oswaldo Guayasamin)
の邸宅美術館。
僕はうっかりすっかり、
気楽な観光のつもりで行ったのですが、
ものすごいインパクトで、
旅の総仕上げみたいな展開になりました。
僕の中で、いろいろなピースが
必要な場所におさまる体験だった。
***
フアヤサミンは先住民の家系で、
キトで生まれたラテンアメリカを
代表する画家。
エクアドルのピカソなどと
呼ばれたりします。
その作品は、
「涙の後の時代」
「怒りの時代」
「優しさの時代」
の三つの時期に大別されます。
子供の時に路上で遊んでいたら、
目の前で親友の頭が
銃弾に撃ち抜かれた、
という事件に始まり、
彼の繊細な感性は
世界中の人々の痛みに触れていきました。
そんなわけで作品の多くは、
そうした社会の悲劇・・・、
人種差別や戦争などの
人類の歴史の悲惨な側面に
抗議するメッセージを持っています。
例えば美術館の中央の
円い天窓。
その周りには未完成の壁画があります。
この絵はボリビアのポトシ銀山に
インスパイアされて描かれたもの。
ポトシ銀山ではかつて
大量の銀が採掘され、
一時は本国スペインのマドリード以上に
絢爛豪華な街になっていたと言われています。
しかしそれは先住民の強制労働者によって
支えられていて、
そこで犠牲になった人の数は
450万人と説明がありました。
4 and a half million って・・・
いくつだっけ??
450万?
ほんと???
としばらく信じられず
聞きなおしてしまったほどです。
男たちは強制労働に駆り出され、
女性たちはレイプされ、
鉱山の中で生まれてから
一度も太陽を見ることなく
一生を終える強制労働者も
少なくなかったとのことでした。
この話を元に、
フアヤサミン美術館の
円い天窓の周りには、
太陽の光と自由を求める人たちが
描かれています。
***
そして他の作品の多くも、
ラテンアメリカを中心に
悲劇的な出来事をモチーフに描かれています。
そしてそれがなんというか、
まったく説教じみていないのね。
芸術作品として昇華されている。
でも、ものすごい迫力。
痛みや怒り、恐怖、悲しみ。
そういうものがズドンと
伝わってきました。
それを正面から表現している。
そうするとそれは、祈りになる。
この美術館は、
「チャペル(人間教会)」とも呼ばれていて、
無宗教の祈りの空間になっていました。
そうとは知らずに入ったのですが、
入ってすぐに、そこに展示されている
大きな作品たちの迫力に
ただならぬものを感じていたら、
そういうことだった。
ここは、
人類の歴史に残る痛みと、
それに対する祈りの空間。
それがなんというか、
僕のハートに押し寄せてきました。
それで涙に暮れながら
祈らずにはいられなかったんだけれど、
でもあとでこっそり
一人で祈りに行ったのでした。
***
そういう時に僕の中に、
その祈っている姿を
見られたくない気持ちと
見られたい気持ちが同居するのね。
これ、なんなんだろうなと
前から思っていたけれど、
今回よくわかりました。
***
見られたくない気持ちは
わりとわかりやすくて、
批判的に評価されたり、
軽く扱われてきたから。
僕が世界に起こっていることについての
痛みについて語るときに、
子供の頃からしばしば出くわした場面。
様々な出来事についての
悲しみや、苦しさや、怒りを語るとき。
そんなときに出会う反応は、
「なに大げさなこといってんの?」
「それよりまずは身近なこと、足元のことを大事にしなきゃね。」
みたいな、ちょっとバカにしたような反応や、
「へ〜、なんかすごいんですね
(あなたはちょっと変わった人種なんですね)」
と距離を置かれるような反応、
「なにかっこつけてんの?」
「なにいい子ぶってんの?」
みたいな攻撃的な反応などなど。
まあ過去形というか、
今でもあるんだけれど。
子供のときの僕は、
自分が当事者じゃないことに関しても、
ものすごく痛いほどに感じることが
昔からよくあった。
でも、それは多くの場合、
「ものすごい痛み」として
受け取られることはなかったし、
その無理解の壁にいつも出会って、
どんどん孤独になっていったのでした。
そういう体験をするのはもうイヤだ。
僕の中の傷ついた子どもは
すっかり怖がっているのでした。
***
そして上に書いた、
祈っているのを
見られたい気持ちの方はというと。
「いい子ぶってんのかな」
「かっこつけてんのかな」
などと子どもの頃は考え込んでしまっていたし、
その後は考えないけれど、
めんどくさいから一人で痛がってたり、
痛みを感じるのを
やめたりしていました。
心を閉じるという意味ね。
だけれど今回、
フアヤサミンの絵を見て、
彼が見ていた世界、
彼が絵を描くということをし続けた
(作品数は数千点もある)
気持ちなどを、
僕なりに感じ取ってみたときに
ふと気付いたの。
「彼は描くことを通して、
痛みと祈りを共有したかったんだ。」
そう、そしてそれは、
僕の望みでした。
(実際の彼がどうだったかはわからないけど)
「僕は、この痛みと祈りを共有したい。」
こんなに地球が破壊され、
こんなに人々が痛めつけられている。
そのことに僕は
こんなにこんなに胸を痛めている。
そしていのちがもっと大切に扱われ、
人々が、自然界の存在が、
もっと傷付けられないですむ世界を
こころから願っている。
その思いや祈りは
なんというか、
僕の中にどうしようもなく存在している。
その痛みや祈りを持ったままでは、
僕は居場所を与えられない
気持ちで子供時代を過ごしてきたけれど、
僕はこの痛みと祈りを
共有してくれる人を
求めているんだとわかったのでした。
この痛みと祈りを感じている僕が、
そのまま「そうなんだね」って
受け入れられる居場所を求めている。
それが「祈っている姿を見られたい」という、
ちょっと遠慮がちで
歪んだ形で
漏れ出ていたことがわかりました。
僕はこうした思いを
持っていられる家族を
作っていこうと思いました。
そしてこの痛みと祈りを
共有していていいつながりを、
さらにそういう「世界」を
作っていこう、と思ったのでした。
だってそれは
自然でまっとうなだけでなく、
人がそのこころを痛めるという力を
発揮できるよう、
お互いを支え合うっていうことなんだもの。
あなたもぜひ、
そんな仲間に加わってください。
こころをこめてご招待します。
そんな思いで外に出たら、
キトの街には
美しい夕焼けが訪れていました。
(この記事はブログで写真付きでご覧になれます。
https://futakowataru.amebaownd.com/posts/1564864)
今後の予定
■好かれる勇気 大好きな人に好かれて生きる
11/19 名古屋
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12/24 東京
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■11月19日 アマゾン&アンデス先住民を訪ねる旅 シェア会
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ふたこです。
エクアドル最終日は、
首都のキトに移動して観光でもしましょう、
ということになりました。
ガイドさんがオススメの場所として
連れて行ってくれたのが
オスワルド・グアヤサミン
(スペイン語発音だと
フアヤサミンのほうが近いかな
Oswaldo Guayasamin)
の邸宅美術館。
僕はうっかりすっかり、
気楽な観光のつもりで行ったのですが、
ものすごいインパクトで、
旅の総仕上げみたいな展開になりました。
僕の中で、いろいろなピースが
必要な場所におさまる体験だった。
***
フアヤサミンは先住民の家系で、
キトで生まれたラテンアメリカを
代表する画家。
エクアドルのピカソなどと
呼ばれたりします。
その作品は、
「涙の後の時代」
「怒りの時代」
「優しさの時代」
の三つの時期に大別されます。
子供の時に路上で遊んでいたら、
目の前で親友の頭が
銃弾に撃ち抜かれた、
という事件に始まり、
彼の繊細な感性は
世界中の人々の痛みに触れていきました。
そんなわけで作品の多くは、
そうした社会の悲劇・・・、
人種差別や戦争などの
人類の歴史の悲惨な側面に
抗議するメッセージを持っています。
例えば美術館の中央の
円い天窓。
その周りには未完成の壁画があります。
この絵はボリビアのポトシ銀山に
インスパイアされて描かれたもの。
ポトシ銀山ではかつて
大量の銀が採掘され、
一時は本国スペインのマドリード以上に
絢爛豪華な街になっていたと言われています。
しかしそれは先住民の強制労働者によって
支えられていて、
そこで犠牲になった人の数は
450万人と説明がありました。
4 and a half million って・・・
いくつだっけ??
450万?
ほんと???
としばらく信じられず
聞きなおしてしまったほどです。
男たちは強制労働に駆り出され、
女性たちはレイプされ、
鉱山の中で生まれてから
一度も太陽を見ることなく
一生を終える強制労働者も
少なくなかったとのことでした。
この話を元に、
フアヤサミン美術館の
円い天窓の周りには、
太陽の光と自由を求める人たちが
描かれています。
***
そして他の作品の多くも、
ラテンアメリカを中心に
悲劇的な出来事をモチーフに描かれています。
そしてそれがなんというか、
まったく説教じみていないのね。
芸術作品として昇華されている。
でも、ものすごい迫力。
痛みや怒り、恐怖、悲しみ。
そういうものがズドンと
伝わってきました。
それを正面から表現している。
そうするとそれは、祈りになる。
この美術館は、
「チャペル(人間教会)」とも呼ばれていて、
無宗教の祈りの空間になっていました。
そうとは知らずに入ったのですが、
入ってすぐに、そこに展示されている
大きな作品たちの迫力に
ただならぬものを感じていたら、
そういうことだった。
ここは、
人類の歴史に残る痛みと、
それに対する祈りの空間。
それがなんというか、
僕のハートに押し寄せてきました。
それで涙に暮れながら
祈らずにはいられなかったんだけれど、
でもあとでこっそり
一人で祈りに行ったのでした。
***
そういう時に僕の中に、
その祈っている姿を
見られたくない気持ちと
見られたい気持ちが同居するのね。
これ、なんなんだろうなと
前から思っていたけれど、
今回よくわかりました。
***
見られたくない気持ちは
わりとわかりやすくて、
批判的に評価されたり、
軽く扱われてきたから。
僕が世界に起こっていることについての
痛みについて語るときに、
子供の頃からしばしば出くわした場面。
様々な出来事についての
悲しみや、苦しさや、怒りを語るとき。
そんなときに出会う反応は、
「なに大げさなこといってんの?」
「それよりまずは身近なこと、足元のことを大事にしなきゃね。」
みたいな、ちょっとバカにしたような反応や、
「へ〜、なんかすごいんですね
(あなたはちょっと変わった人種なんですね)」
と距離を置かれるような反応、
「なにかっこつけてんの?」
「なにいい子ぶってんの?」
みたいな攻撃的な反応などなど。
まあ過去形というか、
今でもあるんだけれど。
子供のときの僕は、
自分が当事者じゃないことに関しても、
ものすごく痛いほどに感じることが
昔からよくあった。
でも、それは多くの場合、
「ものすごい痛み」として
受け取られることはなかったし、
その無理解の壁にいつも出会って、
どんどん孤独になっていったのでした。
そういう体験をするのはもうイヤだ。
僕の中の傷ついた子どもは
すっかり怖がっているのでした。
***
そして上に書いた、
祈っているのを
見られたい気持ちの方はというと。
「いい子ぶってんのかな」
「かっこつけてんのかな」
などと子どもの頃は考え込んでしまっていたし、
その後は考えないけれど、
めんどくさいから一人で痛がってたり、
痛みを感じるのを
やめたりしていました。
心を閉じるという意味ね。
だけれど今回、
フアヤサミンの絵を見て、
彼が見ていた世界、
彼が絵を描くということをし続けた
(作品数は数千点もある)
気持ちなどを、
僕なりに感じ取ってみたときに
ふと気付いたの。
「彼は描くことを通して、
痛みと祈りを共有したかったんだ。」
そう、そしてそれは、
僕の望みでした。
(実際の彼がどうだったかはわからないけど)
「僕は、この痛みと祈りを共有したい。」
こんなに地球が破壊され、
こんなに人々が痛めつけられている。
そのことに僕は
こんなにこんなに胸を痛めている。
そしていのちがもっと大切に扱われ、
人々が、自然界の存在が、
もっと傷付けられないですむ世界を
こころから願っている。
その思いや祈りは
なんというか、
僕の中にどうしようもなく存在している。
その痛みや祈りを持ったままでは、
僕は居場所を与えられない
気持ちで子供時代を過ごしてきたけれど、
僕はこの痛みと祈りを
共有してくれる人を
求めているんだとわかったのでした。
この痛みと祈りを感じている僕が、
そのまま「そうなんだね」って
受け入れられる居場所を求めている。
それが「祈っている姿を見られたい」という、
ちょっと遠慮がちで
歪んだ形で
漏れ出ていたことがわかりました。
僕はこうした思いを
持っていられる家族を
作っていこうと思いました。
そしてこの痛みと祈りを
共有していていいつながりを、
さらにそういう「世界」を
作っていこう、と思ったのでした。
だってそれは
自然でまっとうなだけでなく、
人がそのこころを痛めるという力を
発揮できるよう、
お互いを支え合うっていうことなんだもの。
あなたもぜひ、
そんな仲間に加わってください。
こころをこめてご招待します。
そんな思いで外に出たら、
キトの街には
美しい夕焼けが訪れていました。
(この記事はブログで写真付きでご覧になれます。
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今後の予定
■好かれる勇気 大好きな人に好かれて生きる
11/19 名古屋
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12/24 東京
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■11月19日 アマゾン&アンデス先住民を訪ねる旅 シェア会
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